木村カエラちゃん
今度「sakusaku」(カエラ©が出演しているTV番組! TVKテレビ・月〜金曜朝7:30〜)の中で、歌をやれることになったんだ。私の“歌をやりたい”っていう気持ちを考えてくれて。“売る”とかじゃなくて、ほんと、私がやりたいからやらせてくれる、って感じなんだけどね。
「STモすっぴんトーク 木村カエラ©」 SEVENTEEN 2004 6/1 166ページ
カエラちゃんが「“売る”とかじゃなくて」といった歌 『Level 42』は、2004年5月10日 番組を通じて390円、390枚の限定CDとして売り出され、3分で完売。“規模は小さいが一応‘伝説のCD’となった”(注1)。2004年6月のメジャーデビュー。2009年NHK紅白歌合戦出場や、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のオープニング曲『おどるポンポコリン』にまでつながる歌手としての木村カエラちゃんの第一歩となった。
注1 「久しぶりの大物新人か?天性の歌手・木村カエラ 近田春夫の考えるヒット」週刊文春 2004年7月15日 68ページ
saku sakuの視聴者と木村カエラちゃん
saku sakuについて語る時、木村カエラちゃんのことを外すことは2つの意味からできない。第一に、カエラちゃんの歌手デビューに番組が力を貸し成功の道筋となる第一歩を作ったこと。このことは、番組プロデューサーでもあり、歌手デビューのプロデュースも行った武内和之プロデューサーのインタビュー(Quick Japan Vol.60 2005年6月)や、カエラちゃん自身のインタビュー(oricon style 2005 3/28)などさまざまな場で語られている(注2)。もちろん、2004年5月にインディーズデビューをしたカエラちゃんのCDを買ったのは100%saku sakuの視聴者だった。
第二に、視聴者の価値観に影響を与えたこと。このことは、番組について説明するということを少し超えている。一言でいえば、横浜の人のマイナーなものとメジャーなもののとらえ方、メジャーなものに対する距離感について影響を与えた。
saku sakuのDVDの中では約71000枚と
一番売れた(今のところ)、第一弾DVD(saku saku Ver.1.0 2005年)に出てくるエピソードの中に、ロケのため本厚木に行く途中、電車の中で乗り合わせた男子高校生がカエラちゃんに気付いて本人に聞こえるようにワザと大きな声でおしゃべりをして「意外とカエラちゃんナマで見たらかわいいな」と言っていたという話がある。
実は、この高校生と大して変わらない感覚を、カエラちゃんのメジャーデビュー前からsaku sakuを見ていた視聴者は、持ち続けている(注3)。もちろん、二人組だったというこの時の高校生のように、ワザと大声で「意外と…」とは言わないだろうが、カエラちゃんへの好感を持ち続けている。別に、カエラちゃんが“売れた”こと、とは全く関係ない。メジャーとかマイナーとか、いわゆるセレブだからとか、変な野次馬根性とか、パパラッチ的な卑しいところは全然ない、ほんとの好感だ。もしも見かけたらニコっとする。それだけかもしれないが、二人組と同じ好感を持ち続けている。結果的に、この好感と今ではメジャーなカエラちゃんの存在が、横浜の人のメジャー感に影響を与えた。
別に、横浜の人のメジャーなものに対する距離感に影響を与えたのは、カエラちゃんが唯一の存在でも、初めてでもない、カエラちゃんの他にも、メンバーの一人の実家が関内にある天ぷら屋さんの『サザンオールスターズ』や、伊勢佐木町の松坂屋前(注4)でストリートライブをしていた『ゆず』の二人などがいる。
ただ、カエラちゃんの場合、UHFの電波(当時はアナログテレビ放送だった)に乗せてその感覚を放送エリアの神奈川県全域にいる視聴者に与えた。こう言うと人によっては、“視聴者の絆”なんてベタついた表現を借りるかもしれないが、そんな24時間テレビ的な見え透いたものではなく、サラッとした好感ともっとゆるくて透明感のある影響力だ。この影響力は、いまだに遺産としてsaku sakuに残っており、saku sakuのMCになるということは、「木村カエラちゃんの後輩MC」という肩書とともに、この影響力を無条件で手に入れるということでもある。
注2 デビューまで
大学に合格していながら、インディーズバンド“animo(アニモ)”の活動(音楽)を取る!と大学進学をやめたにもかかわずバンドの活動が停滞。同時期に、音楽情報番組のMCなら、音楽の勉強になるだろうと始めたsaku sakuのMCが全く勉強にならないと初回収録で気付きながらも一年が経過。自分が音楽の夢から遠ざかっていることに危機感を抱き「大切な相談」があると番組プロデューサーを表参道のカフェに呼び出して、「歌が歌いたくてしょうがない」と訴えすべてが動き出し、1か月後の1994年5月10日にインディーズデビュー。楽曲の作詞とともにCDジャケットのアートワークも自分でこなした。
注3
木村カエラちゃんの知名度は常に右肩上がりのため、メジャーデビュー前からの視聴者に限らず、saku saku MC時代のどの時点でも、今ほど有名ではない『前から知ってた』と言うことが出来た。
注4
横浜松坂屋が無くなった今(建物すら)。ゆずのストリートライブの場所は、有隣堂本店(横浜で創業した横浜のヒトに愛される書店)の向い側と言った方が分かりやすいかもしれない。
木村カエラちゃん 発言
あのですね、私は自分を表現するのが好きなんです。
「New Star interview 歌はモデルより先が見えないから面白い!今の歌唱力はレベル27くらいだけど(笑)」女性自身 2004年8月31日 147ページ
こう見えても石橋をたたいて渡るタイプだから…
「木村カエラ©物語」 SEVENTEEN 2004 10/15 147ページ
私、「どうせ」って言葉が大嫌いなんです。「どうせ〜でしょって」っていう一言は努力を完全に放棄してる。
「今週の苦言 木村カエラ」SPA! 2004年12月14日 6ページ
素なんだけど普通にしていると周りから「大丈夫か?やる気あんのか?」って誤解されて怒られるのが困る。
「“木村カエラ”という者です vol.1」oricon style 2005 3/28 49ページ
今は音楽が一番。だけど10年後には違うことをしているかもしれない。
「みんな騒いでる木村カエラって誰ですか?」GQ JAPAN 2005 4 109ページ
行動の元になってる理由がないから、周りから見ると“なんで?”って理解できないみたい。だから最近は感覚的にイヤだなってことを一応1回はやってみて、これこれこうだからイヤですって人に説明できるような理由を持とうと思って。
「“木村カエラ”という者です vol.2」oricon style 2005 4/4 49ページ
―で、いつかはドームや武道館でやりたいとか?
あー、私、大きいとこでやりたいとか全然ないんですよ。人前で歌えればどこでもいい。だから歌手としての夢はもう叶っちゃってるんですね。
「“木村カエラ”という者です vol.3」oricon style 2005 4/11 39ページ
バンドのメンバーと野球観に来たことがある。贔屓の球団とかなくて打ってるほうを応援します。“打て打て とりあえず打て”みたいな。
「JANE OF THE MONTH 99」Tarzan 5/11 2005 5ページ
―モデルとしての仕事を通して学んだことを問われて
ルックスもメッセージのひとつだっていうのを知ったこと。
「木村カエラ ロング・インタビュー」Quick Japan Vol.60 2005年6月 025ページ
―白井ヴィンセントとananのインタビューを受けて
ヴィン 聞けよ人の話を!なんで雑誌読んでるだよ!
カエラ だって、話してること全部ウソじゃん。
「キャラを刷新した『saku saku』に直撃!やっぱり、リニューアルは大変ですか?」 anan 2005.10.12 93ページ
―有名になり自分が『見世物』みたいになっていると違和感を感じたと告白し、その時期をどうやって抜け出したか?を問われて
ものすごい落ち込んでる時に、たまたま珍しく仕事が早く終わった日があって。その日、ボジュレー・ヌーヴォーが解禁になったんですよね。で、じゃあ久しぶりにちょっと飲もうよ!っつって友達3人で、自分ちで飲んでて。「そうだ。一年間写真撮り続けててね、こないだパソコンに入れたから、ちょっとスライドショーしよう!」っつって、酔っぱらってスライドショーした時に、700枚ぐらい写真があったんだけど、ちょうど去年のハタチの誕生日から、夏フェスとか、いろんな地方に行った時の写真から、ジャケット撮影の時の写真とか、いろいろあったんだけど。なんかね、いつもほんとにこう、楽しそ〜うな顔で常に写っていて。カメラだからいい顔しかないんだろうけど。でも、それを全部スライドショーして見た時に―「あ、なんかこの一年楽しかった」って思った瞬間に、もうどうでもよくなっちゃって(笑)
…自分らしさっていうものがどこまで大切なのかっていうものがもうわかんなくなったから。もう急に病んじゃって。外に一人で出るのが怖くなって。生まれて初めて普通になりたいって思った。その時点でね、「ああ、私もう終わったな」って思ったんですけど。でも、その写真を見た時にすごい吹っ切れて、「ああ、やっぱ好きにやっちゃお!」と思って。
「木村カエラ」 ロッキング・オン・ジャパン 200603 096ページ
“女は女らしい外見を”とか言う男って、私、本当にダメで。『中身を見ろ!ふざけんな〜』って思う。
「non・no V.I.P./木村カエラ」non-no 2006 Mar.20 167ページ
小学校6年生の時にラフォーレのセールに友達と行って、ヘアサロンのモデルをやらないかって、声をかけられたんです。…モデルの撮影は夜だから、いつもママと一緒に行って、帰りは渋谷のセンター街の悪そうなお兄さん(笑)の間をくぐり抜けながら帰る。途中で回転寿司食べてね。うまいし、安いし、二人で「食えるだけ食おうぜ」って言いながら。
「[All about] 木村カエラ 優しい嘘より、素直な気持ちを言葉にしたい」読売新聞 東京版 夕刊 2007.2.7 8面
たぶん、無条件に自分に自信を持てて、勢いがあるのって、ハタチより前までだと思うの。私は22歳くらいからかな?別になにがあったわけじゃないんだけど、自信たっぷりになれなくなった。
「STモのころ 木村カエラ」 SEVENTEEN 2008 2/15 159ページ
そうだ、昨日夢を見たんですよ。悩んでいる人を募集して、個人指導するって夢(笑)
「木村カエラ 誰かの人生を変えられるとは思ってない。でも、力になれることは、ある。」 cut JUNE 2008 89ページ
植木等さんが出演している『無責任男』をDVDで観て、こんなに気分が晴れる人もいないなあって(笑)。無責任って今の私が使うとネガティブに伝わる言葉が、全然そうならない。その人にしか使えない言葉があることに、その時気がついたんです。
「木村カエラの作り方。」 BRUTUS 9/1 2008 032ページ
自分で詞書かないと意味ないって思ってましたし、デビューしたときはモデルから出てきてる部分があったので、歌詞書かなきゃどうしようもないって。だってそこでしょ、モデルは。(曲が)売れない理由は(笑)。
「木村カエラ」 ロッキング・オン・ジャパン 200902 101ページ
普通の女の子としての感性を大事にしていたいとは思っていて。だって、ロボットになっちゃいますから、こんな世界でやってたら(笑)。痛みとか喜びとか悲しみとかが全部フラットになっちゃって。だから、ちゃんと常に普通でいたいんです。
「木村カエラ 想いどおりの力」 papyrus Aug.2009 031ページ
―ベストアルバム発売時、過去を振り返り
『わ、木村カエラ、刈り上げした、ヤバい世界にいってる』って思われるのが、逆に上がるみたいな部分でもあったので(笑)。
「木村カエラの10曲」 ロッキング・オン・ジャパン 201003 146ページ
ミス・セブンティーンに選ばれたら?
木村カエラりえちゃん (高2・東京都)
将来は歌手になりたいので、モデルの仕事から道をつくりたい。
「ミス・セブンティーン 2001最終候補者17名発表!」 SEVENTEEN 2001 9/1 133ページ
木村カエラ
Kaela Kimura 1984年10月24日 東京都足立区生まれ
高校時代、赤坂の日枝神社で巫女のアルバイトをしていたことがある(「みんなのバイト時代」 太田出版 2007)。“Kaela”という名前の女の子はオーストラリアとインドに1人ずついるらしい(Quick Japan Vol.60 2005年6月)。
バンド歴 “ペンギン・ジェット (Vo)” “animo (Vo)” “Domoto Bros'Band (バックコーラス)” “サディスティック・ミカ・バンド (Vo)”
Kaela★Blog
http://kaela.jugem.jp/